正しい推論式で結論が偽なら、前提は偽でなければならす、しかも第二前提は真なのですから、必然的に第一前提か偽とならねばならないからです。
それでは、じっさい第一前提、つまり占星術の占いのルールは偽なのでしょうか。
よく考えてみると確かにこのルールはおかしいのです。
「同じ星の下に生まれる」といういい方があります。
二人の人間が同じ月日に生まれた場合にそのようにいいます。
同じ月日に生まれれば、星の配置もおなじであり、したがって二人の巡命もおなじはすです。
しかし二人の一方か王様になり、もう一方が羊飼で一生を終わったという話はいくらでもあります。
また双子の場合だって二人がまったく同じ人生の軌跡をたどったといった例はありません。
だとすれば、いまのルールつまり第一前提は、偽だといわざるをえないのです。
こうして占星術師のおこなう推論は、みかけは、かけ値なしにりっぱです。
しかし前提の方は偽なのです。
ところで正しい推論の場合、偽から偽がでるとはかぎりません。
偽から真がでることだってあります。
だからいかにインチキで、どんなに下手くそな占星術師だって、たまには当ることがあるのです。
しかし当ったからといって、いばることはありません。
それはただ単にまぐれにすぎないからです。
こうして占星術がいかさまの術であることがわかりました。
しかしこれとおなじことか、トーフンプ占いや、易の占いについてもいえます。
要するにそれらは迷信だといいきってもいいのですゆかいな迷信もう一つの種類の迷信を検討してみましごものです。
日食や月食のときにドラを叩いたり、爆竹を鳴らしたりするならば、欠けていた太陽今月がもとにもどる。
日食や月食のときにドーフを叩いたり、爆竹を鳴らしたりする。
∴太陽や月がもとにもどる。
なぜドラを叩き、爆竹を鳴らすかといいますと、中国では日食、月食は文字どおり怪獣が太陽や月を食うことからおこると信じられており、食われてしまえば大へんなので、大きな音をたてて怪獣を驚かせ、いったん呑み込んだ太陽や月をはき出させようとするわけなのです。
さていまの推論で、ひとびとがじっさいにドラを叩き、爆竹を鳴らせば、第二前提は真となります。
そしてその後に、じっさいに太陽や月がもとにもどりますから結論も真です。
しかも騒音を出したら必ず太陽や月が現われます。
だから、中国のひとびとは、第一前提もまた真だと信じたのです。
しかしよく考えてみれば太陽や月がもとにもどるのはけっして騒音のせいではないのです。
というのも、騒音を発しなくても、太陽や月はやがて必ずもとにもどるからです。
このようにして実は第一前提は偽なのです。
それにもかかわらずそれを真だと主張するならば、それは迷信だといわざるをえません。
とはいえいまの推論は形式からいえば正しいものです。
もちろん第一前提は迷信だから偽です。
そして正しい論理形式では、偽から真なる結論が導かれることは不思議ではありません。
ところで前提は二つあり、第一前提がすでに偽です。
したがって第二前提は偽であっても真であっても、前提は全体として偽となるというわけです。
そしていまの場合、じっさい騒音を立てようか立てまいが、太陽や月はふたたび出現するのです。
ドラや爆竹で空想上の怪獣を追い払うという習慣は大して実害のあるものではなく、むしろほほえましい迷信です。
しかし占いの場合は、下手をすると人間の豊かな未来を不当にねじまげることになりかねないので、有害な迷信というべきだと思います。
そしてじっさい、国連の専門機関ユネスJもこうした迷信にたいして断固戦うようにひとびとに呼びかけているのです。
ひきょうな占星術師占星術の批判をもう少し続けることにしましょう。
占星術がつまらない術であることはつぎのような仕方で証明できます。
もし一つの理論がすぐれたものであれば、そこからでてくる結論は事実と一致する。
結論は事実と一致しない。
・一その理論はすぐれたものではない。
ここでいう理論とは、たとえばまえにあげた「何月何日に生まれた人はこれこれの運命をもつ」といった占星術の理論です。
そしてこの理論にしたがって、その月と日に生まれた人の運命を予言した場合、その予言がはずれるということがおこりえます。
その場合、予言が事実と一致せず、事実によって反ぱくされたというわけです。
そしてこのようにある理論からひきだされた結論が、事実によって否定された場合、その結論は反証されたといわれます。
しかしこのように反証されますと、いまの推論式で示されたように、もとの理論はつまらないものだということになり、いさぎよく撤回しなければならないのです。
もちろん占星術の理論からひき出された結論が事実と一致することもあります。
つまり予言かみごとに的中することもあります。
しかしだからといって、もとの占星術の理論が正しいということの証明にはなりません。
このことを理解するために、つぎの推論式をしらべてみましょう。
もし一つの理論がすぐれたものであれば、そこからでてくる結論は事実と一致する。
結論は事実と一致する。
∴その理論はすぐれたものである。
こんどは一つの理論からひきだされた結論が、事実と一致した場合でして、こうした場合は、確証されたといいます。
この確証はもちろんさっきの反証とはE反対の位置にあります。
しかしある理論からひきだされた結果が確証されたからといって、その理論がいいものだとは必ずしも断定できないのです。
というのもそうすれば後件肯定のあやまりを犯すことになるからです。
だからひょうばんの占星術師がいて、その予言が見事に的中した例をいくら挙げてじまんしてもだめです。
はずれた例のことはほおかぶりをしていて、当った例だけをいくら並べたててもしようがないのです。
ここでちょっとしたIピソードを紹介しましょう。
日本ではよく天神様の境内で、合格祈願の絵馬や、合格御礼の絵馬が奉納されているのをみかけますね。
これは日本だけの現象ではなく、ドイツでも、フランスでも、イタリアでもよく見かける風景です。
ただしこれらの一々では、もちろん天神様ではなくマリア様にお願いしたり、感謝したりいたします。
ヨーロッパではこの風習は二千年以上まえ、つまりキリスト教以前からあご古代のギリシア人やローマ人たちもいろいろの神様に絵馬の捧げものをしておりました。
話はこの時代のことです。
ある神殿の壁に、嵐で大波にもまれて沈みかかっている船の絵馬がいくつもかけられていました。
これはそんな状態のときに神に祈った結果、助かったので、感謝のしるしに納められたものでした。
しかしこれをみていたギリシアのある賢者は、「神に祈って助かった人はたしかにこうして絵馬を奉納できたのだけれども、祈ったが助からなかった人はそんな絵馬を奉納できるはずもあるまい]と語ったというのです。
つまりそこには助かったという都合のいいケースだけがみられるのであって、助からなかったという不都合なケースは、じっさいはあるのですけれども、絵馬という形ではみられないのです。
占屋術の場合でもおなじでして、当るケースのほうはずい分やかましく宣伝するが、はずれた場合はだまっていたり、なんのかんのいいわけをしたりするわけです。
とはいえ占星術師としては、やはり、当らないというケースそのものをなくしたいと考えることは当然です。
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